日本との関係
1.ニュー・メキシコ州における日系人の歴史
ニュー・メキシコ州の日本人の歴史は1895年頃からの鉱山労働によって始まり、鉄道労働がそれにつぎ、農業としては、かなり後年に入植が行われ始めた。戦後では鉱山ならびに鉄道労働とも殆ど無く、エルパソ近くのメシア地方とアルバカーキ近郊に割合古くから農業従事者が存在し、東部ラビングストンに数件の大農園を営む日系人がいる。
第二次大戦中、太平洋岸沿いに住む日本人及び日系人は内陸のロッキー山脈を挟む地域に作られた強制収容所10ヶ所に収容された。ニュー・メキシコ州にはこうした大規模な強制収容所はなかったが、FBIが「危険分子」と認定した日系人(戦前よりあった日系人差別、日米開戦後は1942年の敵性外国人の隔離を承認した大統領命令9066号に抗議した、主に移民一世の指導層)を拘留する拘留所がサンタフェ刑務所にあった。また、同じくサンタフェにあるバターン・メモリアルホールは、2000人のニュー・メキシコ州兵で編成された第200高射砲連隊が日本軍捕虜となり、秋田県花輪鉱山で働かされたことを記念するものである。
2.文化交流
ニュー・メキシコ州では従来より、対日関心を含め国際問題一般に対する関心が薄いと言われていたが、最近ではマスメディアによる日米経済問題等の報道もあり対日関心の度合いは高まりつつある。イケバナ・インターナショナルや盆栽クラブ等の活動も一役買っているものと考えられる。
アルバカーキ市は、佐世保市と姉妹都市関係(1966年11月締結)を結んでおり、現在両自治体関係者、市民による相互親善訪問等が行われ、1995年6月には、アメリカ・ジャパン・ウィーク(国際親善協会、ニュー・メキシコ州共催、当館後援)が開催され、アルバカ−キ市、サンタフェ市で盛大に日本文化紹介行事が行われた。
又、国際交流基金派遣による書道のデモンストレーション、和太鼓「志太ら」ツアー等は大変な歓迎を受けた。
3.学術関係
ニュー・メキシコ州からはJETプログラムにより、毎年1〜5名の参加者を送り出している。
4.投資・貿易
対日貿易額は、2008年において9,200万ドルで、これは、同州の貿易相手国として第6位に位置する。主な輸出品は、コンピュータ機器、電気製品、金属加工品、鉱物資源等である。
5.要人往来
(1)訪米
・1973年 : アルバカーキ市(辻一三佐世保市長)
・1985、 91年: アルバカーキ市(桟熊獅佐世保市長)
・1993年10月: サンタフェ市(永礼達造津山市長)
・1995年 6月: アルバカーキ市・サンタフェ市(愛知和男(財)国際親善協会会長/衆議院議員、塩川正十朗元衆議院議員)
・1996年 4月: アルバカーキ市(光武顕佐世保市長)
・2006、 09年: アルバカーキ市・サンタフェ市(二階敏博経済産業大臣)
(2)訪日
・1974年 : 佐世保市(ブルース・キング・ニュー・メキシコ州知事)
・1981年 : 佐世保市(デビット・ラスク・アルバカーキ市長)
・1982、83、84年: 佐世保市(ハリー・キニー・アルバカーキ市長)
・1994、97年 : 佐世保市(マーティン・チャベズ・アルバカーキ市長)
・2004年 6月 : 東京都(ビル・リチャードソン・ニュー・メキシコ州知事)
・2004年 9月 : 津山市(ラリー・デルガド・サンタフェ市長)
・2005年 7月 : 愛知県(ビル・リチャードソン・ニュー・メキシコ州知事)
6.在留邦人等
(1)在留邦人及び日系人
ニュー・メキシコ州に在留する邦人の数は853人(2009年4月、当館の在留届に基づく推定人数)。その内アルバカーキ周辺に370人が居住しているが、サンタフェ等にも居住している。日系人(2000年の国勢調査に対し「日本人」または「日本人との混血」と回答した人)の数は約4千人となっている。一般的に邦人社会と現地社会との関係は良好な状態に保たれている。
(2)留学生
ニュー・メキシコ州への留学生は69人(2009年4月、当館の在留届に基づく推定人数)。地域との交流や日本文化紹介を目的として、毎年9月に行われる秋祭り等にボランティアで積極的に参加する留学生の姿が見受けられる。
7.姉妹州・都市関係
ニュー・メキシコ州では、以下の諸都市との間で姉妹都市関係が結ばれ、活発な交流を行っている。。
アルバカーキ市 |
佐世保市(長崎県) |
サンタフェ市 |
津山市(岡山県) |
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